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ローカル・ルール!

 2007-12-29
中日ドラゴンズの福留選手が、MLB(メジャーリーグ)のシカゴ・カブスと契約を結んだ。

シカゴ・カブスのホーム球場「リグレー・フィールド」は、「フェンウェイ・パーク(ボストンRソックスの本拠地)」に次いで2番目に古い球場で、オールド感あふれる手動式スコアボードや、外野フェンスに絡まる「蔦(ツタ)」が有名である。この“ツタ”の中にボールが入りこんでしまうと、ローカル・ルールで“二塁打”になる。

MSL(盛岡スローピッチリーグ)にも、「木(モク)キャッチ」というローカル・ルールがある。
ホームランゾーンの立ち木群に飛び込んだボールを、地上に落ちる前にキャッチすれば、ホームランから一転して“アウト”になるルールである。リグレーのように二塁打どころかアウトという、打者にとってはまさに“天国から地獄”、外野手にとっては“見せ場”のルールである。

04シーズン、ワーカー選手(メッツ)が放った打球は、立ち木群の上を越えるビッグアーチ、かと思いきや、公園内の東屋を覆う“ツタ”にボールがはさまり、外野手がボールを取り出してアウト、というハプニングがあった。
この事件は「ワーカーの悲劇」とか「“ツタ”ンカーメンの呪い」などと呼ばれ、今日まで語り継がれている。

そしてこの事件以降、ただ“面白いから”という理由で「地上に落ちる前にキャッチすれば、すべてアウト」というローカル・ルールが加わった。
このルールが、このあと悲劇(喜劇?)のスパイラルを生むことになろうとは、当時は夢にも思わなかった……というのはウソで、目論見通りに数々の“悲劇”が生み出される結果となった。

「ツーアウト満塁、ここで打てば逆転」という場面、放った打球は、三塁側スタンドにある倉庫の屋根の上へ。球場全体が息を呑んで見つめる中、ボールが屋根の軒先からポトリと。素早く落下点に移動した外野手がキャッチしてアウト。バッターには容赦ないブーイングの嵐。…悲劇である。

「ツーアウト満塁、ここで打てば逆転」という場面、放った打球は、ベンチに飛びこんだ。三塁手が駆け寄り、何やらゴソゴソとベンチシートに置いてあるバックを探り始めた。数秒後、彼の手には先程のボールが。“地上に落ちる前にキャッチ”したのでバッターアウト。バッターには容赦ないブーイングの嵐。…悲劇である。

しかしこの悲劇(喜劇?)を糧に、MSLの選手達は大事なことを学ぶのだ。
「守備では、最後まであきらめずに打球を追うべし!」 
「打席では、フェアゾーンに打つべし!」 
ということを。

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18!

 2007-12-22
広島カープの黒田投手が、ロサンゼルス・ドジャースと契約を結んだ。背番号は「18」。

そのニュースを聞いて、ふと思った。
Rソックスの松坂投手も、桑田投手がメジャーデビューした時も、背番号は「18」だった。

「18」は俗に“エースナンバー”と呼ばれる番号だが、なぜ“18=エースナンバー”なのか?
なぜMLB(メジャーリーグ)は、日本から来た“新人”選手に、やすやすと“エースナンバー”を与えるのか?

ちょっと調べてみると、“18=エースナンバー”は日本だけらしい。
由来は、歌舞伎の“十八番(オハコ=最も得意とするもの)”からきているとか、読売ジャイアンツの主力投手、中尾碩志-藤田元司-堀内恒夫-桑田真澄と「18」が受け継がれて、“18=エースナンバー”と言われるようになった、など諸説あるようだ。

そして、MLBには“エースナンバー”は存在せず、背番号10番台は主に野手がつける背番号らしい。

“エースナンバー”はないが、MLBには全球団で永久欠番となっている番号がある。ジャッキー・ロビンソン選手の背番号「42」。
人種差別と闘いながら、黒人初のメジャーリーガーとして活躍した彼の功績を称え、97年に全球団で永久欠番となった。
ただし97年以前から「42」をつけていた選手の継続使用は認め、現役で「42」をつけているのは、ニューヨーク・ヤンキースのクローザー、マリアノ・リベラ投手だけである。

さて、MLS(盛岡スローピッチリーグ)にも、“エースナンバー”をつけている選手がいる。アスレチックスのビリー監督である。彼の背番号「18」には、桑田投手へのリスペクトがこめられている。
しかしビリー監督はエースピッチャーではなく、ショート・ストップ。偶然にも?MLBの野手がつける10番台の背番号なところが、さすがは“なりきりメジャーリーガー”である。
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パワスロ!

 2007-12-16
ソフトボールマガジン1月号で、コラムニスト綱島理友氏(=東日本大会等でお世話になっている綱島ボブルヘッズ監督)の「パワフルスローピッチ ソフトボール」の連載がスタート!

スローピッチの歴史や、ボブズが参加している東京インターナショナル・ソフトボール・リーグ(T.I.S.L)の紹介など、スローピッチボーラーは必読です!

今回のコラムに“まだ”MSLは登場しませんが(笑)、コラムを読んでスローピッチの世界に浸りましょう!

http://www.sportsclick.jp/magazine/softball/0801/index.html

※)パワスロ…「パワフルスローピッチソフトボール」の略。
ちなみにパワプロは「実況パワフルプロ野球」、パワメジャは「実況パワフルメジャーリーグ」、パチスロは「パチンコ店のスロットル」、パワハラは…もうええっちゅうねん!

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ニューヨークとMLB

 2007-12-09
ニューヨーク・ヤンキースのジョー・トーリ前監督が、来シーズンからロサンゼルス・ドジャースの指揮をとることになった。
そしてヤンキースの松井秀喜選手には、サンフランシスコ・ジャイアンツへのトレード話が浮上している(12/8現在)。

ヤンキース、ドジャース、ジャイアンツ。この3球団、実は“ニューヨーク”でつながっている。

1950年代のニューヨークには、ヤンキース・ジャイアンツ・ドジャースの3球団が存在していた。

19世紀からニューヨークの人気球団として名を馳せてきたジャイアンツ。1903年ヤンキースがボルティモアから移転してきてからは、“後輩の”ヤンキースと激しいライバル関係にあった。
しかし、ベーブ・ルースがヤンキースに入団後は、ヤンキースに人気が集まるようになり、ジャイアンツの観客動員は激減、1958年に新天地を求めてサンフランシスコに移転した。

ブルックリン・ドジャースは、ニューヨークの“下町”ブルックリン地区をホームとして、「ブルックリンに入ると、どの家からもラジオの実況とドジャースを応援する声が聞こえた」といわれるほど、ファンとチームの理想的な関係を保ってきた。
しかし球場周辺の治安の悪化などにより、1958年にオーナーがロサンゼルスへの移転を決断、多くのファンを嘆かせた。

こうして同じ年に2つの球団がニューヨークを去っていった。

それから4年後、MLBのエクスパンション(球団拡張路線)の一環として、1962年にニューヨーク・メッツが誕生。
メッツのカラーはオレンジとブルー。ブルックリン・ドジャースのブルーとジャイアンツのオレンジを由来とする。それゆえか、ニューヨークを去った2つの球団ファンから、そのままメッツファンに移行した人も多い。

誕生当初はその弱さゆえ“MLBのお荷物球団”とよばれたメッツだが、1969年大方の予想を覆してワールドチャンピオンとなり、以降「ミラクルメッツ」がメッツの代名詞となる。

現在のホーム球場「シェイスタジアム」は08シーズン終了後に解体され、メッツは隣に建設中の新球場「シティ・フィールド」に引っ越す予定。「シティ・フィールド」は、“新懐古主義”にのっとり、ブルックリン・ドジャースの本拠地を模した球場になるようだ。

そして現在同じ“ニューヨーク”をホームとするヤンキースとメッツだが、“人種のるつぼ”といわれるニューヨークだけに、ファン気質もまるで違う。ヤンキースは、ホワイトカラーのファンが多く、オーナーのスタインブレナー氏の言葉を借りれば、「空気の次に勝利を欲する!」という感じ。
一方のメッツは、ニューヨークの特にヒスパニッシュ系を意識したチーム作りをしている。GMしかり、補強する選手もしかり。ファンも「勝利がすべてではない」というラテン気質な人が多い。

さて、盛岡スローピッチリーグ(MSL)のヤンキースとメッツもまた、同じ“Y家”をホームとする2球団である。
毎年、優勝争いを繰り広げているライバル同士、試合当日のY家の朝食は、メッツの選手のみセルフサービスで、と試合前から激しいバトルが始まっている。

ヤンキースは「勝利の次に焼肉を欲する!」という感じだが、メッツは「肉もいいけど、新鮮なウニ&アワビを欲する!」と選手達の気質(?)も違っている。来シーズンのMSLも、ヤンキースvsメッツの“サブウェイ・シリーズ”の行方に注目である。

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ピンポン大会!

 2007-12-01
アスレチックス主催の第14回ピンポン大会がアスレチックス・クラブハウスにて開催され、激戦を勝ち抜いてきた8名で決勝ラウンドが行われた。
今大会には、メッツのシゲミツ選手、インディアンスのアロマー選手が招待選手として参戦した。

試合結果は、シングルはビリー監督が優勝、ダブルスはビリー&シゲミツペアが優勝し、豪華賞品をゲットした。

アロマー選手は「おいしい料理とお酒と楽しい会話と、ホントいたれりつくせりのおもてなしで、試合前からすでにメロメロだったよ。自慢の“王子サーブ”をビリー監督にいとも簡単に返されたのはショックだったね。やっぱり“プリンス”に王子サーブは通用しないんだね~」と、二日酔いの床から弱々しく語った。

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